入試の真実を書いています

 幼児教室が口が裂けても教えられないことや、入試の真実を教えるとお教室にとって不都合があることも書いています。

 

 

 

令和3年3月11号のメルマガ 「あれから10年」

あの日から10年が過ぎました。

皆さんは、あの日のことは忘れられないと思います。

私も忘れてはいません。

あの日にエスポワールで何があったのか、皆さんにお伝えしたいと思います。

3月11日は金曜日でした。エスポワールは営業していましたが、金曜日はリハーサル日でしたので授業はありませんでした。

私は子どもが通う小学校が新入生ガイダンスで休校だったため、それに合わせて休暇を取っていました。

忘れもしない・・・14時46分

激しい揺れは、突然にやってきました。

私は息子と娘を抱いてダイニングテーブルの下に連れて行きました。

1回目の揺れが収まってから、自転車で恵比寿の歯科医院へ向かっていた妻に電話を掛けたら、発信制限のアナウンスがあり繋がりませんでした。

10数回ほど掛け続けたらやっと繋がり、安否を尋ねたら、電動ママチャリに乗っていて地震に気付かなかったようです。

次にエスポワールに電話を掛けたら、全員が無事でした。横揺れは大きかったけれど、棚の中身が落ちたりなど、物が散乱するような揺れ方ではありませんでした。

山手線を含めて全ての電車は止まりましたが、いずれ運行を再開するだろうと誰もが思っていました。

殆どの小学校では「14時46分」は6限目の授業中でしたので、子どもたちは学校にいました。

ところが、低学年は5限目(概ね14:00頃まで)が終わって、掃除と終わりの会(概ね14:20頃まで)が終わり帰宅する学校が多いのです。

14時46分は学校の近くの駅に着いた頃か、運が悪ければ何駅も先の知らない場所で降ろされたと思います。

小学校の先生は最寄りの駅まで、下校中の子どもたちを迎えに行きました。そして、学校に泊まりました。

電車に乗ってしまった子どもたちは、途中の駅で降ろされて家族に電話を掛けました。

子どもたちにとって、この震災で不幸中の幸いだったことは、何十回か掛ければ電話が繋がったことでした。

多くの保護者は車で迎えに行きました。ところが幹線道路は大渋滞のため殆ど進めません。1キロ進むのに1時間はざらでした。環状8号線内側の幹線は殆ど動きません。

その後、JR東日本は午後6時20分に「安全が確認できない」として首都圏の全線を運休にしました。

渋滞でらちがあかず、車を脇道に乗り捨てて徒歩で迎えに行く親も大勢いました。

歩道から車道に溢れるくらいの大きな人波に逆らっているので、徒歩でも進まなかったようです。

私は臨時のメルマガを卒業生の親も含めて発行しました。

「恵比寿駅に近い場所でお迎え待ちのお子さんがいたらエスポワールへ向かわせてください。職員と一緒に泊まることができます」

「無事に子どもに会えた後、帰宅が困難になったらエスポワールに泊まってください」

地下鉄の白金台駅(港区)で降ろされた卒業生の女の子がいました。その子は改札でじっと待っていたようです。

お母さんは地震直後に横浜市から5時間歩いて午後8時に迎えに行き、エスポワールに泊まりました。

東京のあちらこちらの駅で降ろされた低学年の子どもたちが大勢いたようです。銀座で降ろされて泣き叫ぶ女子小学生をあやす駅員の姿がニュースになりました。

本当にこの大地震で不幸中の幸いだったことは電話が繋がったこと、大停電にならなかったことです。停電になったら固定電話の「ワイヤレス電話」や「FAX付き多機能電話」は電源がないと繋がりませんし、街中の信号機も止まります。携帯も充電ができません。また、運行再開も延びます。

当時はマグニチュード9のあとは最大でマグニチュード8の大きな余震もあり得ると呼び掛けていました。

東北沖のプレートが滑って(スロースリップ)大地震が発生し、次はひずみが溜まった茨城沖が滑る可能性があると専門家がテレビで話していました。

そのため、2011年秋の受験では、超難関校なら遠距離通学を良しとしても、それ以外なら迎えに行ける距離の学校にする方が多かったです。

今できることは、通学途上の全ての駅での待ち合わせ場所(特定の改札、駅員室や交番など)の位置を手帳に書き写して、地震で電話が繋がらなくても・・・

「この駅ならここで待て」

「お父さんかお母さんが駅を一つずつ探して歩く」

「駅員の指示で避難所に移動するときは、このシールに行き先を書いて待ち合わせの場所に貼っておきなさい」

「大地震の場合は会えるまで2日3日かかるかもしれないけれど、必ず迎えに行くから心配しなくて大丈夫」

と渡しておきます。

震災直後は大きな余震が数ヶ月は続いていたので、我が家ではアマ無線の免許をとらせて、小型トランシーバーをランドセルに忍ばせていました。結局、最大でマグニチュード8の余震は来ませんでした。

私の教え子で、現在、幼稚舎2年のA君は、震災に備えてガラケーの形をした衛星電話(ソフトバンク501TH)をお父さんとペアで持っています。

備えあれば憂いなしです。

また、天災は忘れた頃にやってきます。

それも遠くない日に。

まもなく、10年目の14時46分です。

-大川小学校の子どもたちに合掌-

ラクラクさん