<022> 小学校受験の願書の正しい書き方(その3)

前回の続きを書きます。

さて、皆さんは志望理由欄に何を書こうと思っていますか。学校の教育方針をホームページやリーフレットで調べ上げて、貴校の教育方針に感銘を受けたとか、共感したとか、我が家の教育方針と一致しているとか・・・多くの方がこのように書きます。そのご家族ならではの志望理由ではなく、Aさんでも、Bさんでも、Cさんでも、誰もが使い回しができる、中身のない内容です。

それが悪いと非難をしているのではありません。私学に行かせたい本音は、殆どの理由がエゴなので、願書には書けませんよね。履歴書の志望理由も同じでしょう。ここの会社がダメなら、次はあそこの会社、あそこがダメなら、その次は何処を受けようかなぁ~と思っていても、それぞれに提出する履歴書の志望理由には何かを書かなくてはなりません。特別な思いがあるように見せかけて、当たり障りのないようなことを書きますよね。

願書も履歴書も、特別に伝えることがなければ、当たり障りのないことを書いても構わないと思っています。メッセージがある人がそれを書けばよいのです。私も今までの人生で数え切れないくらいの履歴書を見ていますが、志望理由欄は社交辞令的な、どーでもよいことばかりが書いてあるので、読んでも、書いてあることは気にも留めません。

しかし、誰かの紹介だったり、何らかの縁がある人だと、必ず、志望理由欄にその事実を書き添えるので、これには目が留まります。人によっては、熱意だらけの、ラブレターのような志望理由を書いてきますが、会社が求めるものと熱意は全く相容れないものなので無視します。求めているのは、アテにならない熱意ではなく、能力ですからね。

同じく、私は今までに、業務の一環として数多くの願書の下書きも見せてもらいました。やはり、履歴書と同じで、美辞麗句を並べている普通の志望理由は流し読みで、誰かの紹介だったり、何らかの縁が書いてあれば、目が留まります。熱意をダラダラと書き連ねている人も見かけますが、読み手からすると無駄な努力だと思います。本気でも嘘でも熱意を語るのはタダですからね。求めているのは、学校のカラーと家庭のカラーが合致するかであって、いくら熱意を書き連ねても、それを覆せるものではありません。

志望理由欄(私立です)についてまとめると、学校に対して、伝えたいこと(紹介や何らかのご縁など)があれば、それを伝えるために、志望理由に上手に絡めます。面接では、必ずそのことについて聞かれることでしょう。伝えたいことがなければ、当たり障りのないことを書いて欄を埋めるだけです。相手も慣れっこなので、そのことを面接で聞かれることはありません。逆に、知ったかぶって余計なことを書くと、面接で突っ込まれて墓穴を掘ることは多々あります。面接官が意地悪をするのではありません。そのことについて触れてもらいたいのかなぁ~と思って、親切で話題を振っただけです。例えば、クリスチャンでもないのに、キリスト教の精神が素晴らしいと志望理由で触れてしまうと、面接官が運悪く宗教の先生だったら、「キリスト教の精神について、何をご存じですか」と、ツッコミの一つも入るでしょうね。面接で聞かれて困ることは、書かないことです。

さて、当たり障りのない志望理由でも構わないと書きましたが、それでは芸がありません。昔から、「目は口ほどにものを言う」と言われていますが、文章も口ほどにものを言います。賢い親の志望理由を読むと惚れ惚れします。一例を挙げますと、誰もが書くであろう、学校の教育方針は最初からパスして、その学校ならではの固有のものを見つけて、志望理由を書いている親の人生経験と絡めて書いてあったりすると、目に留まります。「おぬし、デキルな」と親の顔をしげしげと見てしまうのです。実際に、賢い親は多いですよ。霞ヶ関のお役人さんは、この手の文章はとても上手ですね。親が学校の先生の場合も、同業者だけあって、誉めるポイントが見えているので、目の付け所が違います。基本は、自分以外のAさんも、Bさんも、Cさんも使い回しができない文章を書くことです。

しかし、志望理由欄が素晴らしいという理由だけで、合格することはありません。くどいようですが、学校のカラーと家庭のカラーの一致で決まるだけです。文章よりも、相性が優先されます。ところが、願書に知性や教養が溢れる親の合格率が比較的に高いのは、紛れもない事実です。それは、家庭にも影響を与え、子供にも影響を与えているからでしょう。ご縁がない人は、知性や教養がないのではありません。それを阻んでいるのは、相性か高い競争率だけです。

無理はいけませんよ。志望理由を書く自信がなければ、常識の範囲内で、当たり障りのないことを書けば良いのです。

※過去記事の再掲載です(情報は古いです)

エスポワール らくらくさん